英語学習をするのに大切なのは、そもそも言いたいことがあるかどうか?伝えたいという気持ちです。これが思いつかないようであれば、場面や相手、タイミングや場所などによって英会話で学ぶ「よくあるフレーズ」を使い続けるしかないわけです。

しかも英語の本質は日本語とは少し差があるので、日本語での解析でその場面・相手・タイミング・場所などを選んだとしても、やはりズレが生じるわけです。そのズレの蓄積は、「ふれあいが足りない結婚生活」のようなもので、どんどんと開きが出てしまい、いずれ破綻してしまったり、ズレを補うための苦労を引き受けねばならなくなってしまいます (・・;)

私自身があまり積極的に人と話したいわけではないのです(笑)。できれば聴いていたく、必要があるときのみ、心と頭を尽くした言葉を出せれば、と考えているのですが、やはり至らぬところが多く、質よりも量で話そうとしてしまいます。反省です。簡潔にわかるように伝えたいのに、どうも増えてしまう。でないと理解してもらえない、という試行錯誤を、物心ついたときからずっとしてきたようです。だからこそ、英語に出遭えたことはとてもよかったのです。

そして、この伝わらないことのジレンマが、「最低限コレだけは伝えたい!わかるように伝えたい!」という原動力になっていったわけです。

脳内であれこれ考えておかないと、この相手ができた場合には、しかもタイミングや場面や場所を加味しなければならないときに、サクッとは出てこないのですね (・・;) ですから、泰然としてコミュニケーションを取れるようになったわけではなく、ひとりの時間にあれこれ考える時間も自然と増えました。その結果がコミュニケーションスキルへと繋がるわけです。

言いたいことがあるためには、何が必要か?というと、相手がまず必要で、誰かと暮らしていることを意識することが前提です。ヒトは社会動物で単体では生きていけないので、当然誰かとふれあうことになるのですが、その範囲や焦点となるものやタイミングなど、ヒト→ 人となる成長過程で学んでいるはずです。とはいえ、完成体というのはあるわけもなく、日々切磋琢磨ということになり、かなり面倒です(笑)。しかも、大人になればなるほど、相手のバラエティは増え、考え方の違いも微妙に増え、場面やタイミングや場所などの違いも格段に増えていき、イチイチとっても面倒なのです。

近道としては、「自分を知ること」で、自分の立ち位置から、それらへの距離感を持ち、どの目線で物事を見て、どのように考え方を伝えるか?ということを、脳内でそれなりに考えているかどうか?というプロセスがそこにある、ということを理解することです。言わずもがな、がかなりある日本語では、イチイチ伝えないといけないの!?ということであっても、文化背景が違う場合には伝えなければならないので、そこは「わかった!引き受ける!」と観念せねばなりません。英語は多様的なのでそういうものとして扱えるようになります。

胸を躍らせたり、おいしいものを食べてうれしかったり、何かに熱中して楽しかったり、新しいことを知ってびっくりしたり、などなどの体験がない限り、なかなか誰かにもわかってほしい!というところまで行かないので、淡々と仕事や学業に熱中しているだけでは、相手にどのタイミングでどの場面でどの場所でコレを伝える、というイメージも湧かないかもしれません。

ということは・・・、やはり誰かと楽しいうれしいふれあいをして、言いたいことを持つために懸命に生きることが大切なのでしょう。ただ受け止める側で留まるのではなく、そのおもしろいものを誰かに伝えたい!となるために。

みなさまの生活はいかがですか?