英語学習の限界シリーズ第一弾は、「自分で考える力です。

英語を教えるようになってからずっと考え込んでいることが、この「自分で考える力」問題です。日本の教育は、大いに「典型的なもの」を教える傾向があり、試験によく出る・みんながよく使う・ありがちな問題などが多いのです。教科書では、ポイントを押さえるだけに留まり、その反復練習問題や発展問題などがあって、そこから逸脱した、「突拍子もないもの」は、想定外として扱います。

これは、英語だけではなく、社会も理科も国語も数学も美術や音楽や体育ですら同じようなことで、ものすごぉく好奇心を唆(そそ)られるような内容ではなかったため、私は小学校のときに既に、授業を受ける正しい態度を崩し、脱落します(笑)。以来、渡米し、英語集中学校に行くまで、勉強らしい勉強などした記憶がありませんから、まったくしていないも同然で、みなさまと比してみると、おそらく1割にも満たないのではないか?と、申し訳ない気持でいっぱいです。

が、それが後の私にいろいろなことをもたらしてくれた、と思えば、なんだかオトクな気分にもなるわけです。

世界が広いこと、日本とは違う文化をそれぞれの国や地域が持っていること、から、世界は日本よりももっと多様的だということがわかります。これは誰も反対できないことかと思うのです。日本も独特のおもしろい文化を発達させた国ではありますが、これも大勢から見れば「そのうちのひとつ」でしかないわけです。

だとしたら、想定外のこと、教えられていないこと、家庭や自分の縄張り以外のことで起きていること以外のことは、存外多いはずなのです。けれども、それらは出現するまでは、特に考えないマインドを持っているのが、凡人の悲しさです。

たとえば、毎年4月は満員電車の遅れが多くなります。それはなぜなのか?満員電車を経験したことのない人々が通勤を開始するために、ちょっとしたコツが見についていないがために遅延が起きてしまったり、気分の悪くなる人が増えることに対応せねばならぬためです。

それは、特に教わらずともいいのでしょうけれども、数日から数週間で学べることではあるのでしょうけれども、できれば短い時間で会得したほうがいいことではあります。

井戸水まで何キロも歩かなければ水がない地域はたくさんまだ実在します。水道をひねればお水もお湯もでる環境に暮らしている私たちには、想定しにくいことがたくさんあるとは思いますよね?であれば、想定することを日常とすれば、この想定外のことをすぐに習得することも可能になってきます。応用力がつきます。

日本のバラエティ番組を見ていて感じるのは、「え?これ知らない世代の人口が増えているの??」という内容があまりに多いことです。私は昭和に子どもだったために、たくさんのことを未だ記憶に留めており、しばらくやっていないこともやればすぐにできる気がしています。まったくZEROの人たちよりはすでにAdvantagesがたくさんある状態です。経験しなくても、想定することにより、その習得期間を短くすることはできるので、ぜひともそうした暮らし方に変えていただければ、と願わずにはいられないわけです。

考える力が自分につくことにより、自分のために結果を出そうとするようになり、創意工夫ができ、行動が洗練化され、マニュアルから逸脱したこともできるようになることが、可能だということ。これを知っているのか知らないのか、気づいているけれども生きていけるからやらないのか、気づいていないのか、私は未だ統計が取れていません。どうなんでしょうか?

私個人は、建売住宅が乱立する駅から少し遠い地域で子ども時代を過ごし、他の世帯よりも貧乏な家に育ったために、想定外が多すぎました(笑)。子どもの頃からそれを考えていかねばならず、いつの間にか考えることはクセになりました。でなければ、よりよく生き延びられず、心が鬱屈したり、時間が掛かったり、お金が掛かったり、まったく期待通りにはならないために、ヘナヘナになるしかないことがわかっていたためです。想定外がたくさんあること=私の日常となることにより、考える力はうんとつきました。けれども、子どもっぽい遊び心や好奇心も変わることはなく、それをどのように昇華させていけているかは未だ不鮮明です。なぜならば、私は未だに水切りをひとりでやってみたり、石蹴りをやってみたり、自転車で両手放しや立ち漕ぎをしてしまう大バカモノだからです(笑)。もちろん、英語でいろいろな分野の勉強もしているのですが、子どもっぽい私の好奇心と、学術的好奇心の区別があまりついていません (・・;)

世間知らず上等!と言いながら、それを知っていて何になる?というマニアックなことをたくさん知っているほうがオトクだと考えていますし、自分でそれを創意工夫して最もやりやすい形の完成版にさせることに、ヨロコビを感じています。

考えることを止める=死ぬ時だなぁと思えているうちは、おそらくこのまま私の脳は右肩上がりです。みなさんの考える力はいかがですか?想定外のことが起きたときでも、倖せを感じることができますか?むしろ、「どーんと来い!」と思えますか?

そこで選択肢がたくさんある多様的な中から選べることと、マニュアル化された常識的なものからのみ選ぶことでは、おそらく英語にしろ、人生にしろ、旅行にしろ、食べ物にしろ、違いが大きく生まれてくると思うのです。ぜひとも、考える力、自分の脳をフルに使い続けることを意識してみてください。