小学校から英語教育が開始され、日本の10年後の英語事情はどうなっているでしょうか?さらに、2020年には東京オリンピックが開催されます。ビジネスも資源のない日本では、作ったものを輸出して技術を売る盛り上がりをますます見せていくはずです。

とはいえ、東京オリンピック1964年からはや53年。何がどれくらい変わったでしょうか?そうなると、これから10年でどのくらいの変化が期待できるでしょうか?あるいは、そんな予測をすることすら無意味なのでしょうか?いやいや、寿命がやたらと長くなることが見こされている日本人にとって、やはり時代の変化については、先読みができていたほうが、きっと役立つことは多いはずです。

2027年夏には、小学校から英語を学び始めた子どもたちが大学生になっていますし、社会人になっている子たちも出ます。その際、今の英語学習に効果があるかどうか?を、まだ文科省はいろいろ調べていることかと思います。査定材料としては、英検・TOEIC・TOEFLですが、徐々にスライドしていき、TOEFLを重んじていくはずです。でなければ、読み書きやインプットに偏っているだけで、実際のコミュニケーションをフル活用して使えるようにはならないことには、きっと気づいているからです。

企業に入ってから長い時間が経ってしまった人々は、すでにかなりな遅れを感じつつも、その差を埋めることにまだまだ苦労しているかもしれません。企業の英語研修プログラムで見事に成果が出ているのを、あまり見かけないせいもあり、こちらはかなり時間がかかるので、10年後も企業戦隊の戦士たちのうち、英語が使える人はまだ30%に満たないかもしれないです。企業というのは、ここでは敢えて一部上場クラスの大企業とさせていただきます。中小や零細のほうが、フットワークが軽いので、部署ごとや全社ごとで英語が話せるようになっている人の割合は、多いのではないか?というのが、私個人の見解です。

たくさんの外国人観光客が来るので、雰囲気そのものには慣れてくるし、いくつかのおもしろい邂逅の和数も増えるはずですが、その中で本当の意味でのコミュニケーションが生まれる確率は、いったいどれくらいなのか?を考えると、まだまだなのではないか?と思えるのです。

実際、私個人が英語を話せるようになり、英語を使い続けてきても、本当の意味でのコミュニケーションが成立することは、やはり確率論の問題だからです。特にビジネスや友人関係においては、蓄積が必要になり、その蓄積には、人間同士としてのやりとりを要求されます。信頼を勝ち得て、その後、利益不利益を含めて、その価値があると判断し続け、正義や不正義、美徳や美意識、人類としての方向性などなど、すり合わせながら、袖すり合いながら、コミュニケーションは続くのですが、日本語であろうが、英語であろうが、それらが大輪の花を咲かせている場面というのは、トライアルの数の一体どれくらだろうか?と考えると、10年後では、まだまだとても少ないのではないかと、予測してしまうのでした。

Singaporeの英語教育は、30年ほどかかったと言われています。それでもやる気のない人には浸透したとは言えず、大人で英語を使える人口は、都市部で著しく、都市部から離れるごとにやはり下降するようです。使うか使わないか?ということなのでしょう。

日本でも、仕事に要求される状態が作り出されれば、観光などではないレベル感での加速度は増していくはずではありますが、Automating:さまざまな商売をロボットで代替えさせるがあるので、さほどの人口が必要になるとは思えないままでいます。誰か私の考えをひっくり返してください←お願いレベル(笑)。

日本という土壌で、どのくらいの人々が、たとえば現在オリンピック3年前に、インバウンド需要についてまじめに取り組んでいるか?というと、あまりいないです(笑)。そうした商売の可能性がある方々でも、1年前になって手を付け始める人がおそらく7割くらいでしょう。で、間に合わない(笑)。まぁ、これは、テスト勉強などと同じですね。まだまだ時間があるときに、人は手をつけないものなのでしょう。けれども、ここが凡人と秀才を分けるところなのだろうと思うのです。

英語に関しても同じですね。多くの人が、「日常会話くらい話せるようになりたい」とのことですが、いやいや、日常会話が一番難しい(笑)。なぜならば場面や相手やタイミングや場所が固定されていたほうが、話すレパートリーが少なくて済むので、ビジネス会話のほうが守備範囲が狭いですから。それに比べると、アクティブな人々の日常生活は、とても多岐に渡るので、そっちのほうが難しいです (・・;)

そのために、今開始する人と、2019年になって始める人では、2年以上の差が開いてしまうわけです。そうした意味でも、10年後を、私はあまり期待しておらず、まだまだのんびりして、マスコミに操作されたままの人々も多いだろうし、時間を中長期で考えていける人もそれほど多くなっていないだろうし、などと、悲観してしまっています。

英語に関しても、第2言語として公用語と扱われていることはまだなのではないか?というのが読みです。私が日本人で母語が日本語であるがゆえに、youtubeの松居一代女史の英語はわかりますが、ひどい日本語訛りなので、わからない人は多いかと思いますね、Nativesでは。そうした意味でも、文科省のカリキュラムごと、Listeningと発音問題に取り組み、暗記をやめて、会話を重視しないと10年後はさほど変わらないはずです。

でも、その程度のスピード感しか求めていないのかもしれないですね。エリートでできる人々は、さほどたくさんの人口に英語を使えるようになってもらいたいわけではないのかもしれないです。ひどいよね・・・。